タイトル

一の糸 B

私は・・・
「死にたい。」そう思ったことが二度あった。
とても死ぬ勇気も度胸もなかったけれど
『こんなに苦しいのなら、現実から逃げよう』そう思った。
それは、病気とかからくる本当の痛みじゃなくて
・・・心の痛み、悲しみ、慟哭。

私の泥船は何とか沈まずここまで来た。
夫婦で耐えた数々の事件(?)は怖くて、辛い日もあったけれど
そのどれをとっても、【死】に結びつけるほど苦しくはなかった。   
何とか、耐えよう、家族を守ろう、夫と生きよう。
そう心から思っていた。
みんなが揃っていれば、貧乏だって怖くない。
明日が見えなくても、今日があればよい。
でも・・・それが変わった日。

舅が逝き、姑が逝き、私たちだけの家族になった。
穏やかな時間が過ぎてゆく。
一人残った末っ子がつぶやいた。
「平和やなぁ〜〜・・・」
本当に、何もない平穏ってこんなにゆったりしていて
心も優しくなる・・・   
その時夫が、「お母さん、引き取ってやれよ」そう言った。
母・養母・・・その時80歳になっていた。
内心、不安はあったけれどそれでも嬉しかった。

ところがこの決断が、やがて修羅場へと変わっていく・・・
恐らく母自身は、私たちが思っているほど
自分が我が儘で、身勝手だなどとはつゆほども思っていないと思う。
母は、母で相当のストレスを我慢しているのだろうと・・・
でも、母の行動や言葉は夫や私の感情を逆撫でする物だった。
それまで、姑にでさえ好き放題を言っていた夫は
(もちろん彼にとっては母親だから当然なのだが)
私の母のことで感情を上手くコントロールできなくなっていた。

今更、母の性格も夫の性格も変わる物でもないし
母の後先を考えぬ言葉は、時として「黙っていてよ!」
私でさえそう声に出しそうになった。
でも、私には言えない・・・

母はきっと今まで自分を周りに合わせるなんって事はしなかった人なんだ。
周りが、合わせてくれていたんだ・・・そう思わざるを得なかった。
私はと言うと・・・もしかしたら、絶えず周りに目配りしていたのかも知れない。
幼いあの日からずっと・・・
やがて、私と母との会話はほとんど無くなってきた。
それは、何とか一緒に住むための最後の知恵?!
話さなければ、聞かなくて良い、そんな悪循環。
それでもたまに母の無遠慮な言葉が夫の耳に入る・・・

「俺は、養子か?!」
日中は、それでもなにも言わない夫が夕刻アルコールが入ると
鬱憤を晴らすかのように声を荒げ始める。
飲まないで・・・と思っても、夫も飲まずにはいられないという。
やがて、その頻度は日増しに増え続けとても人には言えない悪口雑言。

もはや・・・アル中状態。
飲めば、楽しいなんって事はいつのことだったのだろう。
犬や猫でさえ萎縮して、ピリピリしている。
「おまえが言わなんだら、誰が言うんな!!」深夜の大声。
物は壊す、投げる・・・
母が来た年、私は一度だけ泣きながら訴えた。
「どんなに言われても、母には言えない・・・
本当の母だったら言えるけれど、やっぱり言えない。
私は産まれてこなければ良かった!」と。

ガチガチと言って良いほどの亭主関白を通してきた夫と
私だけの辛抱をしたことのない母、絶対相容れない。
かといって、もう母を追い出すことは出来ない。
つまり母にも、私にも生活できるだけのお金も家もなかった。

夫にしてみれば、家族なら肩寄せ合えるけれど母は
家族にはなれない、ならない人だった。
せめてお酒を飲まなければ・・・そう思ったけれど
エスカレートするばかりで、きっとご近所も知っていたと思う。
もし、夫の仕事が24時間勤務でなかったら、
私は・・・かもしれない。
この勤務態勢が、お互い考える時間を与えてくれた。
それでも、母を助手席に乗せながらこのままどこかに飛び込もうか
そう真剣に考える私がいた。

あれから8年の歳月が流れた。
「私は身体が弱いけん・・・」そう口癖に言う母の同級生は殆ど彼岸へ行った。


HOME NEXT BACK TOP