タイトル

二の糸 E 

「ぼんくら」の【サラ金&相手の離婚騒動】の濁流からほんの少し解放された。
何も解決はしないけれど・・・それでも時間が普通に過ぎてゆく。
もちろん、相手からはあれっきりなにも言ってこない。
つまり、私の気持ちは受け入れられたと見て良い。
私の二の糸はささくれだって、今にも切れそうだけれど何とか残っていた・・・

こども・・・
親たちは誰だって『我が子は、そんなことはしない・・』そう思っているはずだ。
まして、自分では精一杯子育てしたと曲がりなりにでも自負していた。   
何をどこで間違ったかと問われても・・・
もしかしたら、あれかと思うことはあったとしても
それが、ここまで尾を引くとは思われない。
もっと、俗悪な環境でも「ぼんくら」よりもっと立派なこども達がいるはずだから・・・
逃げ口上かも知れないけれど、「ぼんくら」の本質?! そう思うこともあった。

夫と私は、このふたつの騒動の後「四国八十八箇所マイカー巡礼」に2度出かけた。
1度目は2年前・・・
それは、私が椎間板ヘルニアを患い全く歩けなくなって
そのリハビリもかねて夫が言い出した。
「祈願」はもちろん「家内安全」
「ぼんくら」のこと意外なんでもなかった。   
元々、宗教とこだわるほど信心していない私。
どこかまだうつろな気持ちの巡礼
それでもひたすら祈ったのは「ぼんくら」のこれから先・・・

二度目の巡礼は昨秋、突然思い立った。
このとき初めて【般若心経】の意味を少しばかり知った。
大まかにはソラで唱えられても、全部と言うわけにはいかず教本は離せない。
素人の私だけれどやっと気付いた【無】という言葉
もちろん、もっと深い意味や悟りがあるのだろうけれど
とりあえず、簡単に言えば「何もかも捨てなさい」と言うことらしい。
心の内に澱んだ塵芥・・・それは虚栄や慢心・欲望
あるがまま受け止めて、あるがまま歩く。

やっと、私はほんの少し光を見つけたような気がした。
「ぼんくら」は根っからの悪人ではない。
どこか、こどものままの心を持った変な大人?!
恐らく、人を疑うことを知らないだろう。
それがよいか悪いかは別問題として、住む時代が違えばもしかしたら純粋な生き方?!
親ばかかと思いながらも、この巡礼中「ぼんくら」に対しての考えが少し変わった。

それでも、今もそんなことはお首にも出さない。
サラ金の借金を少しでも親に返済する能力も未だ無く
逆に、離婚した相手のご主人に月、何万かの慰謝料を3年間払わなくてはならない。
夫は・・・別れた今なぜ払う?!と言うけれど
ある意味で私はきっちり片を付けて欲しい。
だから・・・あえて私は夫の知らぬ裏でほんの少し手をさしのべている。

貧しくとも良い。
何もなくても良い。
ただ、自分の心に恥ずべき事が無く
胸を張って、前を向いて歩いて行けたら・・・
そう願う母の気持ちは「ぼんくら」に通じるのだろうか?!


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