タイトル

家庭

本当は・・・
家庭というのはツバメの巣のように
せっせと子育てして子供が巣立てばお終い。
そんな動物的なことが一番幸せなのかもしれない。
世界一長寿国になった日本。
老親との同居は決して他人事ではなくなった。
そして今の苦悩は
数十年先の息子達の苦悩・・・

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姑が逝って半年間・・・
こんな平穏な時間・空間があるのかと疑うほどの
安らかな日々が流れた・・・
いつ終わるか解らなかった姑の透析。
思いもしない日、彼女は突然逝った。
彼女はまさに赤子に戻って天上に昇った。

薫子の耳に残った言葉は
「食べさせて・・・」
意識のなくなる前の日だった。
いつもなら何とか自分でスプーンを口に運ぶのに
その日に限ってそう言った。
姑のことで後悔があるとすれば・・・
この日薫子は「自分で食べよう。」
そう言って、手を添えたこと。
明日逝くことが解っていたら、   
たとえペースト状の食事でも、
もう少し食べさせてあげられたのにね。
母親を待つように薫子が病室に来るのを待った姑。
一日として欠かさなかった(あることを除いて)あの日
それでも待ちわびた姑はナースに電話を頼んだ。
「来てもらって・・・」
お義母さん、あなたのこととっても大好きです。
時には弓彦よりも・・・

恐らく姑と薫子はお互いがいつの間にか寄り添い
本当の親子になったのだと思う。
同居当時は、どこの家庭にもあるような波風はあった。
けれども、そんなことにこだわっていられないほどの
大きな嵐に、何度も見舞われたから
必然的にスクラムを組むようになったのかもしれない。
本当の意味で『母』、そう呼べる人はこの人以外にいない。

ライン

そんなある日
弓彦は、薫子の母との同居を促した。
正直、嫌だった。
この平穏は乱されることは解っていたから。

まだ父が生きていたとき
生活が出来なくなって、突然に同居が始まった。
ちょうど、下の双子が生まれたとき・・・
弓彦の両親も健在だった。
母は、元々薫子の世話にはならないと言って憚らない人だった。
そのための育てたのではないと・・・
しかし現実は重たくのしかかる。

まだその頃、弓彦の両親とは別居していた。
姑の姪夫婦が一軒家を格安の家賃で提供してくれていたのだ。
もう二十数年前のこと。
父は、好々爺然として我が家の
長男(後のぼんくら)の子守をかってでた。
「ジィジ、さんぽ・・・」
そう言って、雨の日も風の日も外にでる。
夕方になると、いつのまに見つけたのか
せっせと自転車に乗って剣道クラブの指導にも走った。
後に彼は言ったけれど
「あれはあれで、幸せだった・・・」と。

ただ・・・母にとっては耐えられない環境だったのだ。
よく考えれば、他人とは同居したことがない人。
父との結婚のスタートでつまずいた彼女は
ある意味で自分のプライドを意固地なほど持った。
今も『京都弁』を話す彼女は自分は都人。
決して、父の家族とは交わることが出来なかった。
がんとして、自分の領域を守り人を入れさせない。
時には父でさえ・・・

ある日、母は突然出て行った。
薫子に一言の相談もなく
父を残して・・・・


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