タイトル

悦ちゃん & オーコ

親友と呼ぶほどではないけれど、心に残る人がいる。
ひとりは中学卒業以来あったことがない。
薫子は心の詫び状を今も持ち続けている。
いつか手渡したいと願いながら・・・

悦ちゃん、恐らく彼女も薫子と
似たような境遇だったのではないだろうか?
今頃になって、ふとそう思った。

悦ちゃんの家は<機関区>と呼ばれた近くにあった。
<機関区>とは蒸気機関車の
修理・点検場所のことだったように思う。
トタン屋根の平屋の三軒長屋の奥が悦ちゃんの家だった。
二間の部屋は玄関側と裏側に別れていて
東から西へと通り抜けできる。
主に裏側の西入口が私たちの出入りの場所だった。
畳がひいてあったのは玄関側だけで、
裏側の部屋は板間だったと思う。
その部屋の座敷からはすぐ土間に降りられて、流しがあった。
その頃、やっとほとんどの家に水道が引かれ始めていたけれど
悦ちゃんの家にはまだ大きな水瓶が置かれていた。

今の人には信じられないような貧しさがそこにはあった。
すぐ裏側には線路が走っていて、
子供達は危険とも思わず遊んでいた・・・
もちろん薫子の生活もそう変わりはなかった。
そう、みんながそんな時代・・・

悦ちゃんと友達になったきっかけはもうほとんど覚えていない。
恐らく小学4年の頃のような気がする。
記憶の中の悦ちゃんは、しっかり者で働き者。そして努力家。
『お母さん』と呼んでいた人は
薫子の子供心にも『おばあさん』だった。
悦ちゃんの家族は『お母さん』だけ。

見せて貰ったアルバムには戦死したという
『お父さん』の写真があった。
その『お母さん』は参観日も決して姿を見せない。
それでも薫子が遊びに行っても嫌な顔ひとつせず
ほんの少し<おやつ>をくれた。
時にはお煎餅だったり、小さな飴だったり。

自分たちの母親よりずっと年上の悦ちゃんの『お母さん』
誰も『本当はおばあさんだろう?』とは聞かなかった。
そんな優しさがその頃の薫子達にはあった。

ある日悦ちゃんの家でお人形遊びに興じていた薫子は・・・
とんでもない欲望に駆られた。

『悦ちゃんのお人形の洋服が欲しい』

それは派手な市販の洋服でもなく、
恐らく『お母さん』の着物(人絹)の
切れ端で作られた簡単なものだった。
いけないこと・・・と、わかっていた。
それでも薫子はとうとう黙って
それを自分の人形の箱にしまってしまった。

多分悦ちゃんは薫子の行為を知っていただろうし
たとえ知らずとも、翌日になれば紛失したことに気づく。
そしてそれが薫子以外の誰でもないことも・・・
・・・しかし、悦ちゃんは何も言わなかった。
そしてその後も薫子の友人の一人だった。

中学時代、悦ちゃんの成績は
抜群とまでは行かなくてもかなり優秀だった。
塾にも行かず、自宅でこつこつと・・・
恐らく600人前後いた生徒の100番以内には
十分入っていたのではないだろうか?!
小学生の時から魚市場で
<エビの殻剥き>のアルバイトをしたりして
働くことを余儀なくされた悦ちゃん。

そんな悦ちゃんが中学卒業と同時に
県外に就職すると聞いたのは卒業間際だった。
『お母さん』も一緒に行くのだろうか?
小さな悦ちゃんの<希望>は壊れてしまたんじゃないだろうか?
ふと薫子はそう思った。

あれから35年以上の歳月が流れ
悦ちゃんの消息さえ聞かない。
悦ちゃんの過酷な運命を思うとき、幼い我が身を恥じる。

『ごめんね、悦ちゃん・・・』

ライン

オーコは本当は洋子という。
薫子が中学一年の時隣の席に転校してきた。
一見おとなしそうなセーラ服姿の女学生。
彼女もまたその制服の下に抱えきれない重荷を背負っていた。

美人ではないけれど、八枚のその眉は返って可愛く
少し受け口の歯は人を引きつけた。
薫子と隣り合わせになったオーコは
自分が薫子の近くにいること、
ずっと前から知っていたことなど話した。
意外な言葉に薫子はオーコに引き寄せられた。

オーコには裏側の顔もあった。
転校してくる以前に
<不良>と呼ばれていたグループの仲間だった。
とはいえ、当時の不良はそうたいした<悪ガキ>ではなかった。
ちょうど反抗期、ほんの少し親に背を向けてみたり、
まだまだ早いと言われていた<異性交際>とやらに
首をつっこんでいた早熟な少年少女達だった。
そんな事実を知ったのは、ずいぶん後だったし
重要な問題でもなかった。

オーコもまた母ひとり・子ひとりだった。
あの時代を見渡せば・・・
平穏な家庭というのは少なかったのだろうか?
そんなはずはないのに・・・薫子は思う。

オーコの母は町の銭湯の火焚き女に雇われていた。
多分ボイラーではなく、おがくずを燃やしていたと思う。
その二階の二間がオーコ達の生活の場だった。

オーコは自分の出生については語らなかった。
転校してくるまで田舎の祖母宅に預けられていた。
父のことも話さない。
中学一年から母親と同居したらしい。
時折、薫子の家で泊まったとき、寝物語で彼女は言った。
『私ね、時々お母さんに1時間ぐらい外に出てきな。ってね』
いくら奥手の薫子でも、どういう状況かわかった。

『私も薫子のような両親が欲しかった。』
そうひとこと言ってオーコは薫子から離れた。
中2はクラスが違うこともあって
ほとんど薫子とあうこともなく
偶然中3にまた一緒になった。

何かでオーコ達の行動が職員会議で問題になった。
その頃彼女はすっかり例の<不良>グループの中にいた。

『薫子、ちょっと顔を貸して!!』と、あごをしゃくった。

止める級友を制して薫子はオーコに続いた。
階段のしたの踊り場で 『先生にチクッタだろう?!』
これは薫子には全く身に覚えのないことだった。
そういえば・・・
2〜3日前オーコ達がたむろしているところを
通り過ぎたような気がするが?? それか!
『いい加減にしてよ。
私があんた達をチクル必要がどこにあるの?
関係ないでしょ!』
そう言い放つと背を向けて後にした。

卒業間際オーコからサイン帳が回ってきた。
小さなメモで『薫子お願い』と書かれていた。

<温室のバラより 野のバラになれ>

これは誰か有名な人の言葉だと思う。
オーコもまた中学卒業と同時に社会に出る・・・
そんなオーコの本当の友になれなかった薫子
せめて、これから逞しく生きて欲しいと願った。

風の便りで県外のある町で<チイママ>をしていると聞いた。
結婚もして、子供も出来たと・・・
まだ十代だった

それから数年後、オーコはふるさとに戻った。
小さな男の子を連れて、離婚して母の元に戻った。
母とともに小さな飲み屋を始めて
子供も無事社会人になり結婚した。

そしてオーコは望まれてサラリーマンと再婚した。
オーコ・・・今度こそ幸せになってね。


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