タイトル

教師ふたり(その2)

何も薫子は傷ついていたばかりではない。
薫子を理解し、導いてくれた教師もいた。
多分、こういった出会いがなければ・・・
薫子の心は荒んでいっただろうと思う。
薫子の住所録には
今もこのふたりの教師の住所がしっかり記載されている。

苦渋の1年が過ぎた小学5年。
この年薫子は母のような懐の深い教師に出会った。
ちょっと小太り気味な中年のおばさん。
そして、彼女は『絵』の先生でもあった。
図工の時間、少しましな『絵』を書く子は
決まって放課後残される。
場合によっては、○○コンクールに出展するために!

そのときの薫子に何か<賞>を取りたいとか
そんな感情があったとは思われない。
ただ・・・『残されて、絵を描きたい』そう思った。
いくらそう思っても、声をかけられない限り
残ることは許されない。
一人っ子として育った薫子には、
家で遊ぶ兄弟はいなかった。

ある日・・・そう、やっと♪
「○○さん、放課後その絵ちょっと書き加えようか?!」と・・
「ハイッ!!」と応えた薫子の顔が紅潮していたのが
この教師には見えただろうか?
結局、対外的に<賞>を貰うことは一切なかったけれど、
薫子の色彩に関する感性はここで培われた。

その上この教師は、夜どうしても算数が理解できないという
できの悪い薫子たち2〜3人が自宅に押しかけたとき
黙って部屋に通してくれて、納得するまで教えてくれた。

おそらく現在80歳近い、彼女の年賀状には
今も水茎鮮やかな日本画調の『絵』が書かれている。
5年・6年と持ち上がりで小学最後の年を
彼女の指導で薫子は大きく階段を駆け上がった。

ライン

薫子の住所録のもう一人の教師。
彼は薫子よりたった10歳年上の高校教諭だった。
ほとんどが普通課に進学する昨今。
あの時代でさえ、普通科進学が多かった・・・
しかし、今の時代よりも親の懐事情をよく知っていたのも事実。
薫子は高校受験間際に<普通課>から<商業科>に変更した。
大学・・・行きたいような気もした。
何を勉強したいというわけではなく、
自分と同じレベルの同級生が進学するのがなぜか悔しかった。
ただ親の負担を考えると、高校を出て社会へ。
これがベストのような気がした。

彼は高校一年のクラス担当教諭だった。
担当は国語。
彼は薫子に何かにつけて注目した。
入学当初、最初に彼は
「図書委員になってくれんか?」と声をかけた。
薫子の性格を十分に知ってのことだった。
本を読むこと・文章を書くこと
これは薫子にとって嫌いなことではない。
むしろ小さいときからの一人遊びの延長であった。
好きなことを頼まれて嫌という人はいない。

それからも何かにつけて校内放送で呼び出された。
特に読書会・感想文コンクールとなると
薫子なしでは考えられないという状態でさえあった。
別の教諭に言わせると、なぜか薫子は
「商業科系には珍しい普通課系の生徒」らしかった・・・

こういうことは多少なりとも他の生徒の反感を買う
特にこの教諭の若さが・・・
当時彼はもちろん結婚はしていた。
しかし、彼の顧問のクラブ(卓球)のなかには
密かに憧れている女生徒もいたのである。
風貌は決して良い方ではないが(ごめんなさい)
この年代、教諭に憧れるのは世の常。
面と向かわれなくても視線で感じることもしばしば(笑)

そして、一度だけ全員の前で
「国語はペーパーテストだけが採点対象じゃない。
自分を表現する力が大切だ。だから・・・
試験の点が少しぐらい悪くても
私の評価は変わらない」
つまり、これは薫子のことを言ったのだった。
どこからか採点は漏れる。
なぜか薫子の国語は三年間<5>であった。

そして・・・この三年間
薫子は文章を書くことに多少増長した。
あまり、「よいしょ」されると自信過剰に陥ってしまう。
商業科という限られた範囲の井の中の蛙。
それが証拠に薫子に与えられた賞状は・・・
県の読書感想文コンクール特選の一枚だけだった。
(校内を除いては・・・)
それでも、商業高校では珍しいことらしかったが。

ともかく多少天狗になりがちだった薫子。
それでも水を得た魚のように三年間無事終えることが出来た。
そしてその感謝の気持ちをあるビーズ額縁に託して彼に手渡した。

「おまえと俺・・・同じような境遇なんだよ。」

このとき・・・
薫子はすべてを理解した。
あぁ〜、この人も同じ運命の中を生きてきたんだ。
だから・・・妹のように大切にしてくれたんだ。
薫子は黙って頭を下げた。
まだ冬の木枯らしの舞う校舎。


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