タイトル

養母との同居

父も逝き、母も逝き・・・
子供達もそれぞれ就職した。
親の懐事情を知ってか知らずか、
4年制大学へは誰も行かなかった。
長男は調理師学校に1年、京都の寿司屋に就職した。
双子の兄は、元々大学に行くつもりはなく
工業高校に進んだこともあって、
某電力会社系列の会社に入社。
1年はお給料を貰いながら電気の学校で学んだ。
弟・・・希望の職業に就けなかった。
その仕事がどうしてもというわけではなかったのか
やむ終えず地元の短大に進んだ。

「平和やな〜〜」
そう、ただ一人残った末っ子が思わず
口に出したほどゆったりした時間が通り過ぎていった。
「普通はきっとこんなんやな、母さん。」
確かに家族三人にはなったけれど
食卓は何と安らぎがあるだろう。
夢にまで見た温かさ・・・
相変わらず、家は今にも崩れそうな廃屋に近いけれど・・・

「おかあさん、呼んだれよ。」
正直、後になって後悔したと言う
弓彦の一言で、事態が一変した。
薫子は最後まで反対した。
養母から同居を願ってきたわけではない。
母の性格からすると・・・きっとうまくいかない。
それはもう、目に見えていた。
それでなくても、一度目の同居の時
一言の相談もなく、父を置いて飛び出した母なのに・・・   
母として見つめた養母と
一人の女として見つめた養母・・・
薫子の心にでさえぬぐえない何かがあるのに
当然、弓彦とは合わないことはわかっていた。
ただ・・・齢80歳になった養母。
いつまでも一人で置いておける年齢でもなかった。
一人でいさせることが返ってご近所の迷惑になる。

ライン

それは同居初日から始まった。
一番辛いのは誰か?
母の言動・行動
家族と母の板挟みにあっても薫子にはただ耐えるしかなかった・・・
ただでさえ修羅と化していくのに
薫子が何かを発せばよけいに溝は深くなる。
老いは必ず訪れるけれども
どう、老いていくか・・・・
これは母を見ていると反面教師のようだった。
決して母のようにはなるまい。
可愛い老女にはなれなくても
家族の中の一員でいたい・・・
母は利己主義、本人は気付いているだろうか?!

同居の問題性は何も受け入れ家族だけが悪いのではない。
同居する老人側にもそれなりの心構えがいる。
でも・・・よく考えたら
それは誰も教えてはいない。   
お互いの不平不満は聞くことはあっても   
解決にはならない。   
家族の根幹に関する問題・・・

ケアと称されるものでこうしたら、ああしたらと、
それは一般論。
子育てと同じ、机上の計算。
同居(介護)も千差万別・・・

確かにあの戦争で何もかも狂っただろうけれど・・・
狂ったのはあなただけではないのよ、お母さん。
家族の中で、心の防御を脱がない限り   
あなたは私たちの家族ではない・・・
家族とはお互いに助け合うものなのよ。
自分の城を固めているだけでは誰も寄り添わない。

ライン

薫子にとっては幸いしたのは(もっとも母にとっては不幸)
あの椎間板ヘルニアで退院してきた数日後
母が転んで胸部の骨を骨折し、入れ替わりのように入院したこと。
退院とは名ばかり・・・
入院したときの状況とほとんど変わらなかった薫子。
弓彦・長男(その頃はいた)・末っ子の手助けで
母の入院中、少しずつ回復に向かっていった。

しかし、2ヶ月後母が言った言葉は・・・
「いつまで、ここに置いとかすんえ?」だった。
エッ?・・・これが母の言葉?!
薫子の心には怒りがメラメラ燃え上がった。
何も転んだのは人のせいではない。
自分の不注意ではないか。
悲しいけれど・・・
今ここにいるひとは私の母ではない。
薫子は慟哭にも似た気持ちで心の中で叫んだ!!

もし、もし本当の親なら・・・
たとえば薫子の息子達の誰かが何かで入院して
退院後も体の不調を訴えている。
そんなとき何かの都合で自分が入院しなくなったとしたら
薫子は潔く、いつまでもいるだろう。
自分がいないことが、少しでも子供達の負担にならないのなら・・・
喜んで病院のベットで横たわっている。
もちろん退院許可が出るまで・・・


HOME NEXT BACK TOP