タイトル

人工透析

父の事件は、急速に母の体力を消耗した。
見た目ぽっちゃり型の母はみるみる痩せた。
後に知ったことだけれども
父が失踪した頃、
母は本当は透析を開始すべきだった・・・
慢性腎炎・・・母の不調に気付いたときは
もうすでに遅かった。
父の死後の7年は母にとって
入退院&生死の境目の流浪だった。

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父の一件が落ち着くとそれでもやっと
平和な時間が流れていった。
気の強かった母もすっかり薫子に頼って、
薫子は4人の子の母となった。
何度か風邪をこじらせたり、
昔の肋膜炎の影響か床に伏せがちになった。
それでもまだ「ジィさん所へは行かない。」
そう気丈に何度も言っていた。
ある日、ご飯が食べたくないからバナナをと言う
彼女の希望通りバナナを買ってきた。
けれども・・・
いつもと違う、何か変!

弓彦に話すと、かかりつけ医に急いだ。
即入院、慢性腎炎。   
カリウムの高いバナナは御法度だった。
何と言うことを・・・
知らないと言うことは怖い。
母は昔の田舎人、砂糖をほとんど使わず塩味で調理した。   
何でも塩味の母はもう許容量の塩分ははるかに超えていた。
以後の食事は塩分はなしとなった・・・
それこそ一番母にとっては辛い選択。
入院治療を続けても透析を拒否していた母は  
食べることも出来ず、死の影が見え始めた。

パート勤めも休み母に付いた。
朝、4時過ぎ病院を抜け出し子供達の朝食・お弁当の準備
子供を起こすとその足で病院、母の食事(食べなくても)
お昼まで治療の点滴の確認、昼食。
3時過ぎ夕食の支度に帰宅。
風呂に入って母の元へ・・・
そして母の夕食、夜の付き添い。(夜中のトイレの回数が多い)
まだその頃は体力があって、何とか乗り切れたけれど
母の顔は日増しに土色になって来る・・・
覚悟をしかけたとき栄養点滴が始まった。
24時間点滴・・・食べなくてもこれだけで生きられる。
最近はこんな物があるんだ・・・驚きだった。

母は死の淵からゆっくりと戻った。
やがて自力食事も出来るようになり
衰えた足の歩行練習まで出来るようになった。
病人は一度はめまぐるしい回復をする。
母は退院許可まで出た。

このことでますます薫子を頼るようになった母。
しかしいちど壊れた【腎臓】は再び機能しなくなった。
母も狂った・・・
病気というのは怖い。
あんなにしっかりした母でさえ病には勝てない。
腎臓が機能しないと言うことは尿毒症になる。
体にたまった毒素は母の思考を侵し始めた。

それも決まって夜になると何かを叫び出す・・・大声で
病んでいるはずの母の力が異常に強い。
自宅でいた母に、弓彦も薫子も限界が来ていた。
かかりつけ医は母の人工透析は体力的にうちでは無理と
国立療養所を紹介してくれた。
かかりつけ医も透析はやっていたのだが・・・
母の場合は普通では難しいと。
ベッドがあくまでの数日、母はこのかかりつけ医の病室で、
かなりの迷惑をかけた。狂ったのだ。

そして父がいた病院に母も運ばれた。
そのときの母にはもう人格がなかった。
病気で狂うと言うことはこんな事か・・・
ほとんど寝ずの薫子の付き添いが始まった。
しかし3日目、薫子の体は拒否反応を示した。
震え・涙が薫子を襲った。
今で言う心身症、体力、気力の限界だった。

そのとき病院長はこういった。
「お母さんは直ることはありません。
人工透析が始まれば少しは回復しますが
長いことはないでしょう。
このままお母さんに付いていたら家庭が壊れます。
お母さんは病院に任せなさい。
そしてあなたは家庭に帰りなさい・・・」

ただ頭を下げるしかなかった・・・
そして透析が始まるまで
母のベッドに専用の檻のようなものがつけられた。
それはちょうどベビーサークルの大きいような物だった。

ライン

母の入院の時はいつでもそうだけれど・・・
薫子は毎日通った。
どんなに時間がかかっても必ず1度は母の顔を見た。
やがて透析が始まって小康状態になった。
檻もはずされ、普通の会話が出来るようになった。
母の人格が戻ってきた。
病室での会話、誰もが本当の親子と間違った。
けれども・・・
意外なところに母の最後の落とし穴があった・・・


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