タイトル

そして・・・失踪

 

弓彦と薫子の人生には
およそ10年おきぐらいに大きな嵐が待っていた。
父のアルコール依存症はその前のほんの小さな嵐・・・
時折、自分たちの前世って
そんなに悪いことをしたのだろうか?
と、考えても仕方のないことを考える。

   ライン

父は、自分自身におびえていた。
断ち切ることの出来ない「お酒への依存」
そして狂った自分が気が付いたときいる場所。
それはきっと父にとっては恐怖だったのではないだろうか。
薫子でさえ、時計の針が1秒1秒刻むように
父の明日が 大きな黒い固まりとなって迫って来そうだった。

せめて、子供達には祖父のそんな姿を見せたくなかった。
幸いなことに、棟続きではあるけれど
車庫の二階の二間が弓彦と薫子達の住処だった。
母屋には食事には行くけれど
祖父の顔を見ないでも済む・・・
後に息子達は実際の狂った祖父は見ていないと言った。
下から声は聞こえてきたけれど・・・

人は狂うと・・・
多分夕闇が迫ってから行動する。
太陽の下ではなぜか隠れたようにおとなしい。
決まって騒ぎが起きるのは夜。
そして、何度かの小さな波があり・・・

多分このとき父は決断したのだと今になって思う。
あぁ、また来るなと予感が頭を持ち上げ始めた頃
仕事から帰った薫子に母が言った。
「ジィちゃんが、自分で国立療養所へ行った。」

その日、父は 自分で軽四を運転して診察に行った。
恐らく「アルコール依存症」は伏せていたのではないか。
気管支ぜんそくの父はそのまま入院を勧められ入院した。
家にいればまたあの精神科へ行かなくてはいけない。
父にとっては恐怖以外の何物でもない。
突然入院した父の荷物を持って薫子は車を走らせた。
国立療養所なら良いかもしれない、
薫子はふとそう思った。

その頃、薫子はやっと車の免許を取った。
今まではそう必要でもなかった。
ミニバイクさえ乗れれば買い物は出来たし・・・
ただ、父の状況から見て
一昼夜勤務の弓彦をそうそう帰って貰うわけにはいかなかった。
いざとなれば私が・・・のつもりで取った。
まだまだ新米の自信のない運転。
それでも、翌日子供と母を連れて行こうとした。

「バァちゃん、ジィちゃんとこへ行こう。」
母はあまり良い返事は返さなかったけれど
それでも車に乗った。
「何か持って行かなくていいの? 食べ物とか・・・」
「 なにもいらんよ。」 そう、母は言った。

子供には優しい祖父だった。
特に双子の兄をなぜか溺愛状態。
この子がなにをしても許された。
そんな孫達の顔を見て笑顔でクシャクシャにした父。
そっと母とふたりの時間を・・・
そんなつもりで薫子と子供は病室を後にした。
父は子供達に「気をつけて帰れよ。」そう言った。

母とその後どのような会話をしたのか
もう今ではなにも解らないけれど・・・
この夜、父は病室から消えた。

病院から帰って、母はお風呂に入った。
そして9時過ぎ病院から電話
「○○さんが消灯になってもいません、
そちらに連絡ありましたか?」
「エッ?!さっき別れたのですが・・・」
薫子の心に何とも言えぬ不安が広がった。
そして、二度と父の顔を見ることはなかった。

何度か病院と家を往復した。
父が歩いているかもしれないと思って・・・   
車で約1時間ぐらいかかる。   
だからそんなに遠くへ歩けない。
けれども父を見つけることは出来なかった。
そして12時前、薫子は弓彦の職場に電話した。

「お父さんがいなくなった・・・
これから警察へ行って捜索願を出す。」
そう告げると重たい気持ちで受話器を置いた。
夜中の警察署はなぜか空気が冷たい。
しかも今は1月・・・
事情を話して書類を書く薫子の背に
弓彦が立った・・・

翌日はかなりの雪が降った。
寝ずにあちこち探し回ったけれど見つからない。
雪の中、心当たりを訪ねてみるがこれも無駄骨。
捜索となると・・・家族だけでは・・・   
また、以前の繰り返し・・・
そう、アキラの事故の時と同じように
在所の人にお世話にならなくてはいけない。
常会・婦人会のみならず、
町長あげての捜索活動となった。

地元新聞の読者欄にも呼びかけた。
あちこちから情報は頂くけれど
どれも確かな情報はない・・・
疲労と焦り
それに加えて、手許金もだんだん心細くなる。   
捜索は地域の方々もボランティアでして下さるけれど
食事代はこちら持ち。
いかに質素なお弁当でも連日連夜となると
その人数の多さも負担になってくる。

4〜5日後だったろうか?
療養所の北側を流れる川から片方のスリッパが見つかった。
つまり、ジィちゃんは川の中?!
ここは1級河川と呼ばれる川の 支流のひとつ。
やがては海に流れる。
何度も底ざらい・アクアラングに入って貰っても
結局見つからなかった。
一応の捜索は一週間で打ち切られた。

スリッパが見つかったその日
薫子の長男は人混みから抜け出すと
小さな背中をふるわせながら
『ジィちゃんのスリッパ・・・』
裏の蛇口でいつまでも洗っていた。
小学4年の冬・・・

ライン

遺体があがったのは水が温みだした春・・・
5月の半ばだった。
突然鳴った電話のベル
最初に電話を取った母は
耳を伏せるように受話器を薫子に手渡した。
「なに言よるかわからん・・・」
電話口の薫子に事務的な内容が伝えられた。
「お昼過ぎ、川縁で小魚釣りの少年が見つけたこと
損傷が激しいのでたくさんの包帯とさらし。
お線香を持って確認に来てくれ。」

母と弓彦はすぐ車に飛び乗った。   
夕暮れ前だった・・・
その夜遅く父は帰った。
しかし、薫子は父を見ることはなかった。
ほとんど包帯に巻かれた父は父ではなかった・・・

このことは薫子の心にトラウマとなって残った。
と言うか、父の【死】の確認が出来ていないのだ。
これから先何度か同じ夢でうなされる。
そう、死んだはずの父が帰ってくる夢。
じゃ・・・煙となったのは誰?!
でも・・・間違いなく父は逝った。
自殺か事故かその判定は下されなかった・・・

  

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