タイトル

突然の嵐

ある日弓彦と薫子のおとぎ話は突然終わった。
それは、結婚して丸一年も持たなかった・・・
順風満帆の小舟は、いとも簡単に嵐の中に置き去りにされ
決して誰でも経験はしないだろう出来事が
ふたりの前に大きく立ちはだかった。

結婚して10ヶ月後 ふたりは待望の子供を授かった。
出来れば<男の子>が欲しいと願った弓彦。
希望通り、新生児指数9/10と言う
健康に恵まれた2450gの男の子だった。
家族で迎えた初めてのお正月
それは嵐の前の静けさ。

正月2日、この年初めての外食を
近くの観光地で親子三人で摂った。
ちょうど、弓彦の弟(末っ子・・アキラ)と車ですれ違った。
この時すべての歯車が逆に回転し始めていたことを
薫子達はまだ知らなかった・・・

   ライン

数分後幸福感に酔って帰る弓彦と薫子の目に映ったのは・・・
無惨に壊れたアキラの車だった。
「アキラの車・・・ 」
そう弓彦はつぶやいた。
「まさか・・」
薫子の消え入るような声。

道端には毛布を掛けられた何かがある・・・
「とにかく帰ろう・・・」
弓彦は自宅に帰ると薫子と赤ん坊を降ろした。
「確認してくるから・・・」
そういって近くの消防署に行った。
弓彦も薫子も蒼白だった・・・

まもなく詳しいことが解った。
軽四とアキラの車が衝突したこと。
死者がふたり
アキラも重傷・・・
どうやら、アキラの車が走行車線をはみ出たようだ。
もっと悪いことに、アキラは飲酒運転だった。
この日からいつ抜け出ることが出来るか解らない
長いトンネルが続いた。

親とは別居していたけれど、急遽弓彦の実家に戻った。
義母(姑)は気丈だった。   
アキラの死を覚悟していたのか   
助かったことを聞くとホッと胸をなで下ろした。
ところが・・・
問題はもっと悪くなっていたのだった・・・
あるいはアキラが死んでいた方が良かったかも。
けれど母は決してそれだけは言わなかった。

無保険車だった・・・
任意保険はもちろん入っていたけれど、上乗せがなかった。
年末に入る予定が・・・遅れた。
まだ新車の代金もほとんど支払われていない。
そのことを知った弓彦は膝から崩れ落ちた。

「あれだけ、あいつは保険に入っておけよと言ったのに・・・」
弱々しく言った弓彦に母は詫びた。
「私が悪かった・・・」
この事実を知ったとき義父(舅)は 倒れた。
そして、それっきり病院から帰ってこなかった。
加害者の家族として実際の矢面に立った弓彦と義母(姑)

「僕と別れてくれ・・・子供頼む。」
一度はそう言った弓彦
確かにこれからのことを考えるととても平坦とは思われなかった。
けれど、この日薫子は赤ん坊を実家に預けた。
赤ん坊を連れていては身動きできないし・・・
前途の希望を失って目がうつろな弓彦をひとりにはしておけない。
その夜、初めて弓彦は薫子の前で泣いた。

最初は大勢の人が押し寄せて、相談に乗ってくれたり
お世話をしてくれたりしたけれど・・・
形勢がこちらの不利と解ると一人、二人と減っていく。
針のむしろのような日々・・・
打ちのめされた弓彦の心がやっと立ち直ってきた。
母には冷たい一言を彼は言った・・・
「僕が守らなければいけないのはアキラじゃない、薫子と子供。」   
その日、母の兄(伯父)の勧めもあって赤ん坊は戻った。

ライン

弓彦も貧しい家庭で育った。
途方もない賠償額を支払える財産はない。
いくら誰に相談しても前進できるような答えは返ってこなかった。
県の交通事故相談所に行っても同じだった。
弁護士 にも相談に行ったけれど、
不利な条件はどこも受けてはくれなかった。
母と弓彦・薫子の三人は
暗闇の中でじっと身を潜めたような生活。
心は死んでいた・・・

アキラの友人が大阪の弁護士を紹介するからと声をかけてきた。
藁をもつかむ心情で手付け金の30万円を託した。
しかしこのお金は当の弁護士には伝わらなかった・・・
ある意味でだまされはしたけれど
大阪から弁護士は来てくれた。
トンネルにかすかな光が灯った瞬間だった。
何もかも承知で引き受けてくれた。
薫子の胸に眠る幼子のためにと笑って言った。
母・弓彦・薫子の三人は心で両手を合わせた。

それからほぼ7〜8年越しの裁判にはなったけれども
この弁護士は見放すこともなく
ついにけりをつけて裁判は終わった・・・
一瞬の歯車の違いが周りの人を巻き込んでしまう。
その恐ろしさ
けれども薫子は耐えたことで母と親子になった。

その後母はこの弁済金をひとりでこつこつ支払った。
恐らく怪我が回復したアキラには
母がいくら支払ったか今も知らないだろう・・・
「この世には残していけないから 」
そう彼女は口癖のように言っていた。
今も壊れそうなあばら屋は
その母の贈り物。
弓彦に母が唯一残した物。


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