タイトル

父・三人

生父・実父・DNA・・・
生母(せいぼ)という言い方に対して
生父(せいふ)という言い方があるかどうか?
薫子にとってこの人(父)は最期まで『○○のおっちゃん』だった。
そしてこの人(父)の記憶とお酒の匂いは切り離せない。
元来の酒好きだったのか、あるいは我が子を手放した辛さか
薫子がこの人(父)と会う時はいつも酔っていた。
薫子が初めて弓彦を連れて生家に訪れた日でさえ・・・

けれど薫子はこの人(父)に恨みがましいことは思ったことはない。
ある意味で薫子は幸せな家庭に育った。
養父母は紛れもなく愛してくれたから・・・
ただ・・・この人(父)は
いつか、そう・・・いつか期待していた。
薫子に「お父さん」と呼んでもらえることを。
しかし・・・薫子はとうとうこの世では呼ぶことはなかった。
よくよく親子の縁の薄い親子だった。

それでも遠い昔、夏休みがくると
決まって訪れる薫子に少しずつ農家の仕事を経験させた。
稲刈り・脱穀・蜜柑狩り・・・
それは薫子にとっては新鮮な遊びのひとつだった。
まだまだ豊かでなかった、薫子の子供時代
子供だって、家族の労働力だった。
多分この人(父)は心の中で『おまえもみんなと一緒だよ・・』
そう言っていたのかもしれない。
次兄(信夫)の運転するオートバイの後ろに
初めて怖々乗って、山の田圃に行ったこと。
足踏みの脱穀機で稲穂を脱穀したこと・・・
それは数少ないこの人(父)との想い出となった。

ライン

父・養父・育ての親・・・
薫子にとって<父>と呼べるのはこの人以外にはいない。
そして【赤毛のアン】のマシューのような存在だった。
<父>が薫子に対して怒ったのは生涯一度しかない。
その一度が・・・今の薫子に重くのしかかる・・・

<父>を語るとき、彼の子供時代は切り離せない。
なぜなら・・・彼もまた幼くして里子に出された人だから・・・
あの時代《家》の為に養子縁組は難なく行われていたらしい。
<父>の生家に何人の兄弟がいたのか確かな数は知らない。
少なくとも5〜6人はいたと思う。
戦争という時代の波が襲って来なければ
それでもそれなりの幸せがあったものを・・・

<父>はある町の武道家(剣道・柔道・鉄扇術)の
下から二番目の息子だった。
家業は床屋だったけれど、道場を開いていた<祖父>は
地域の信奉を集めるそれなりの人だったらしい。
長兄は今の警視庁に勤めたと言うから
祖父に次ぐかなりの武道家だったのだろう。
<父>が小学生の低学年の頃祖父の従兄弟が<父>を
養子として望んだ。
子供の出来なかった夫婦の跡継ぎとして
雑誌一冊を買ってくれると言うことで「うん!」と首を縦に振った
とは<父>の後日談だった。
<父>には尋ねなかったけれど・・・
まだまだ養子縁組という実態は解って
いなかったのではないだろうか?

文武両道の家訓は養家でもそのまま認められた。
<父>は生涯を剣道に夢を見続けた。
豊かではなかったけれど、
その時代旧制中学校まで進んだ。
学力もそれなりに優秀だった。
<父>の死後見つけた成績表
薫子は自分のそれと比べて頭を下げた。
総代まで務めた<父>
京都の染色工場に就職、<母>と結婚。
そしてあの戦争・・・
選択の余地がなくなるほど人生が狂う。

そして唯一幸せなはずの結婚生活。
<父>は、たった一度の過ちのために
<母>に詫び続ける一生となってしまった。
このことは薫子は全く知らなかった。
もっともこのことがなければ・・・
この両親とは巡り会うことはなかったのだが。
そのことを薫子はずいぶん大きくなって<母>の口から聞いた。
しかし、薫子は<父>の名誉のためにも
生涯口にすまいと心に誓った。

そしてこのことはきっとふたりの人生に
影を落とすことになったに違いない。
今なら・・簡単に離婚してしまうだろう。
世間体・生活 そういう柵(しがらみ)が
ふたりを結びつけていたのだろうか?  
偽装的に幸せな振りをしている・・・
いつの頃か薫子はそう思い始めた。

たった一度薫子に怒った<父>
それは薫子が<母>に冷たく当たったときだった・・
「おかあさんに優しくしてやってくれ」
そして死ぬ数日前「おかあさんを頼む・・・」
<父>はそう言った。

でも・・・おとうさん
薫子にはあなたの遺した言葉が重い。

<父>は薫子の舅の一周忌の翌日
まるで迷惑をかけないようにひっそりと息を引き取った。
様子がおかしいというので駆けつけた弓彦と薫子。
入院手続きをしているその横で
<母>はこういった。
「付き添いは出来ない。犬や猫がいるから・・・」
薫子は耳を疑った。
しかし<母>は同じ事を言った。
『おかあさん、あなたにとって大切なのは誰?!』
結局入院することもなくそれから数分後
「有り難う・・・」の言葉を薫子に遺して逝った。
いまわの際の父の耳に<母>の一言が届かなかったか
今も薫子の心は痛む。
結果的に<母>の夫婦感とはそういうものだったのだ。

昔<母>の口癖は
『仲の良い夫婦は一年以内にお互い逝くのだって・・・
私の両親がそうだった』そう誇らしげに言っていた。

<父>に毎晩夢で会うと言う<母>
<父>が逝って15年の歳月が過ぎた・・

「世間並みに親になれて嬉しかった・・・
≪家≫に縛られなくていいから。」
薫子には紛れもない<父>そのものの人だった。

ライン

舅・義父・ちち・・・
薫子のなかで一番想い出が少ない人
そのくせかなりショッキングな出来事が多い人だった。
弓彦の父親だけれども、
なぜかいつも消え入りそうな印象しかない。

そう・・・きっとこの人も
あの戦争さえなければ違った運命があったかもしれない。
詳しい事情はわからないけれども
年上の姑の家に養子に入った。
今でこそ【ご養子様】と奉られるけれど・・・
まだ、肩身が狭かったのではなかっただろうか?
薫子の知る舅はいつもどこか自信なさげに所在なく座っていた。

弓彦の話によると戦後一度は自転車業で儲けたこと。
博打に手を出して、妻子を泣かせたこと。
中学頃までは舅に定職がなく貧しかったこと。
姑の内職で子供三人が育ったこと・・・
そんな話を薫子は聞かされた。
今では想像も付かないだろうけれど・・・
米3〜5合を小学生の弓彦が買いに行ったとも。

やっとバブルの時代の少し前、舅はブルトーザの免許を取った。
そのおかげで中学を出ると就職すると言っていた
弓彦達は全員高校は卒業することが出来た。
大学まで親が当たり前のように学費を出す今日。
行きたくても断念したであろう時代だった。

そして大事件その1
弓彦の弟が大きな自動車事故を起こした。
しかし、元来気弱なこの人は
息子の盾になることはなく、
入院して、この件からさっさと逃げた。
矢面に立ったのは姑と弓彦だった。
このとき父親としての威厳は完全に失われた。

大事件その2
アルコール依存症&失踪
そんな舅が朝夕近所の酒屋に出向くのは知っていた。
沢山飲んで酔いつぶれるというようなことはなかった。
しかし、アルコールは日一日と舅の体を蝕んでいた。
たった5勺・・・これが朝夕3回。
2合に満たない酒量だけれども
舅の体からアルコールが抜けることはない。
これは舅にとって大きな誤算だったはずだ。
最期まで自分が俗に言う<アル中>とは認めなかった。
しかし体は確実に異変を来す。
幻聴・邪推・不眠・・・
入退院を繰り返したある寒い日。
舅はいなくなった。
それからほぼ4ヶ月後、変わり果てて発見された・・・
事故とも自殺とも判断しかねた。


HOME NEXT BACK TOP