タイトル

母・三人

生母・実母・生みの親・・・
薫子にとってまるで霧のなかの人だった。
記憶の一片すらない。
恋しいと思ったことも、懐かしいと思ったことない。
記憶として生成されていないから、
あの懐の温かささえ薫子には残っていない。

薫子の生家では薫子を含め6人の子供を授かった。
薫子が生まれてまもなくこの人(母)は逝った。
そして薫子が里子に出されて10年後
父は後妻を迎え男の子ひとりが誕生する。
結果的に、薫子ひとりが兄弟姉妹の枠からはみ出た。
産後の肥立ちが悪かったのか、当時流行った何か伝染病なのか
今となっては知るよしもないが・・・
この人(母)の運命=薫子の運命だった。

すべてのことが解って、生家を訪れて
床の間の壁に掲げられているこの人(母)の写真を見ても
薫子には何の感情も芽生えなかった。
写真の中のこの人(母)はニコリともせずただ前を向いている。
思い出がないということはこういう事なのだ・・・
ふと薫子は思った。
恐らく年子の姉(桜子)にも母の記憶は多分ないだろう。
ただ・・・彼女は他の兄弟姉妹から
<母の記憶>を刷り込まれているに違いない。
それはある意味でなんと幸せなことだろう。
無機質なこの人(母)の写真を見つめながら
薫子は長兄(和夫)の言葉を思い出した。

『薫子が、一番お母さんに似とる。』

鏡の中の自分に時折つぶやく
『本当にお母さん?』

  ライン

母・養母・育ての親・・・
薫子が<母>と呼ぶのは大半がこの人なのだ。
小柄な美しい人だった。
京育ちのこの人は戦争さえなければ
こんな田舎には住まなかっただろう。
まして薫子と巡り会うこともなかったかもしれない。
ある原因で<母>は結婚当初から子供が出来ない体になった。
たまたま近所のある人の薦めで薫子を知った。
そして、<父>とふたりで引き取ることになった。

確かに豊かではなかったけれど、十分な愛情を注いでくれた。
ある意味で、薫子は幸せだったし、感謝もした。
ただ・・・いつの頃からか
『母のようにはなりたくない・・・』
心の中でずっとそう思い続けてきた。
その頃はなぜそう思うのか自分でも理由がわからなかった。
最近になって、そうなのだ・・・
やっと確信が持てるようになった。

<絶対的な愛・普遍的な愛>

<母>にはこれがないのだ。
薫子がこういう感情を持っていると知れば・・・
<母>は悔しがるかもしれないけれど
つまり、飼い犬or猫とやたら変わらない感覚なのかもしれない。
彼女にとってはひとつの<もの>かもしれない。
嫁ぎ先の跡取り欲しさ?!
<父>とは違った目線で私を見ていたのではないだろうか?!

そして・・・<父>との結婚生活
お互い本当に幸せだったのだろうか?
薫子は疑問に思う。
幸せな振りをして、ずっとお互い心が離れたまま
薫子を育てることで繋いでいた家庭ではなかったのか?
薫子自身が<弓彦>という良き伴侶に巡り会ったことで
なおさらそう思ってしまう。

<父>が逝って15年。
今薫子達と同居する<母>は自己防衛の固まり。
決して薫子達の<家族>ではない。

  ライン

姑・義母・はは・・・
三人の<母>の中で薫子が一番好きな人。
なぜ?
それは<家族>だったから。
もちろん<嫁&姑>の関係だから
最初からすんなりというわけにはいかない。
ただ、この<母>には覚悟が出来ていた。
まず男3人の子育てをした<母>は
残念なことに女の子には恵まれなかった。
最初から長男である<弓彦>の嫁
薫子に老後を託すことを覚悟していた。
そして仮に薫子が期待に背く嫁だとしても
『我が息子が選んだ嫁じゃけん、仕方ない。』
そう腹をくくっていた。
近所では<一筋縄ではいかない○○さん>で通っていた。
つまり、めんどい人というのが姑になる前からの代名詞。
薫子はいつも「お姑さん大変だろ?!」
そう近所のみんなが気遣ってくれた。

実際の姑は?
意外とさばけた人であった。
もう一つ大切なことは・・・
姑自身が<父親>を知らないことだった。
姑が生まれるとすぐ<父親>はなくなったそうだ。
親の顔をを知らない子・・・の姑は長兄に育てられた。
そんなことも多分薫子との距離を縮めたのだと思う。
特に<舅>が亡くなってから自分自身が逝くまでは
薫子なしでは生活できなくなっていた。
入院しても姑と薫子の会話に
同室者はいつも本当の親子と間違った。

薫子は姑の墓前でいつも言う。
「おかあさん、いつか私が逝ったら仲良く
隣通しで昔話をしましょうね。」


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